2013年4月20日土曜日

恋愛実行委員会(5・終)

「紀和…」
梨順は、それ以上何も言えず、床にぺたんと座って、しばらく紀和を見上げていた。

すると、ガラッと戸が開けられ、担当の教師が、紀和を手招きした。
実行委員の皆は、小声で交わされる二人の会話を聞き漏らすまいと、物音一つたてずに注目している。

「…で、一応、形の上で……というわけだから、……親御さん、校長室に……何時頃なら…」
教師の問いに、紀和も半ば覚悟していたらしく、手早く答えていく。

ひそひそ話が一段落すると、教師は、紀和の頭越しに委員へ指示を出した。

「お前ら、すまんが下校時間まで、もう少し作業、進めていてくれんか。時間になっても予定まで進まなかったら、委員長、お前、職員室の体育主任の先生まで、延長時間を相談に行っておいてくれ。」

「あの…先生…。どこ、行かれるんですか…。紀和が行くのなら、私、行かないと…おかしいです。私の事で始まったのだから…」

いつの間にか立ち上がり、梨順が、話し出していた。

「いや、金はここで、与えられた仕事をしていてくれ。紀和が抜けるわけだから。…もし必要があれば、もちろん、金にも声はかけるが」

「…はい」
力のない声でうなずくと、梨順は、またその場に座った。

ドアが、静かに閉まる。

それから、他の委員がびっくりするほどの勢いで、梨順はポスターを描き始めた。

あたり入れも下書きもせずに、クラスマッチのタイトルと日時、種目と会場を書き込む。
そして、中央に、一気に大きく人物のイラストを入れて、顔料マジックでポイントの色を差していく。

黒い短髪で、中学の体育着は半袖とハーフパンツ姿。
ハイソックスには赤と青のラインを入れ、片方の足の裏でサッカーボールを止め、もう片方の足は芝生の上にしっかり立っている。

手を腰に当て、瞳を輝かせ、微笑んでいる女子生徒の姿。
誰が見ても一目でわかる、その少女は、紀和そのものに描かれていた。

「すっご…梨順さん、だっけ。あんた、すごいのねぇ…」
同学年のいちゃつき女子が、いつの間にか、四つんばいになって、梨順の手際のよさに目を丸くしながら見入っていた。

委員長の声がかかり、その頃には梨順もポスターを描き上げて片付けも終え、その日の実行委員会の活動は終了した。

でも、まだ紀和は戻ってこない。

教室で待つのもじれったく、直接、梨順は校長室の前の廊下に行った。

しばらく立ったまま待っていると、職員室から、梨順の担任が出て来て、こちらへやってくる。

「先生、紀和は…? 紀和、実行委員会の途中から、ここに呼ばれて、ずっと帰ってこない…」

「大丈夫だ、心配するな、金。紀和が蹴った奴の怪我も大したことなさそうだし、紀和と男子と二人の話も一致してるしな。ただ、結果的に紀和が相手に暴力を振るった事は事実だからなぁ、んー。
一応、家の人に来てもらって、お説教をしてもらうように話しとくのが、筋ってもんなんでな?」

「おかしい…そんなの! 紀和、私のかわりに、怒ってくれた。本当に怒っていたのは、私の方…なのに、何で、日本人の紀和、コリアンの私の分まで怒られる?!おかしいよ!!」

「…まあ、おちつけ、金。そんな大声出すと、校長室の中まで聞こえる。…それに、どこの国の人間かは、物事のいい悪いに関係があるのか? 男子の差別発言で、かなり紀和のペナルティも軽くなっているし、そうピリピリするな。…紀和は、去年俺も担任したが、誇りという物を知ってる生徒だ。お前の誇りが傷つけられたのを、日本人としての誇りが、赦せなかったんだろうよ…」

「べっつに、そんなカッコいいもんじゃないっすよ、先生。勝手に正義の味方にしないで下さい」

ガラリ、と校長室の戸が開いて、片方の頬を真っ赤に腫らした紀和が出てきた。

「紀和! お前、先生に何て口の利き方してんだっ。もう片方もはり倒されてーのかっ!」
「うるせーな、親父はぁ。分かったよ、そんな怒鳴らなくてもっ。…すいませんでした、先生」

紀和の後ろの、1メートル85はゆうに越えていそうな、見るからにガタイのいい中年男性に言われ、半ばしぶしぶと紀和は謝った。

「いやいや、今回のことは、そう紀和を叱らないでやって下さい。…しかし、お父さんも相変わらず、お元気ですねぇ。去年とちっとも変わらない」
「しがねえ職人ですから。ゲンコで世の中のしきたりってやつを教えないと、紀和みてえなバカ娘には分かんねえんですよ。親がしてやれるのは、まっとうな心根の大人に育てるくらいで…」

「親父ぃ、もう、分かったから。バカは余計だよ、バカは。…それに、遅くまでここにいる、この子を送っていってあげたいから、家には別に帰るよ」

「この子、って…ここに立ってる、可愛い、この子か?」

「か、可愛いくなんか…あ、あの、私、金 梨順です。今日は、私のせいで、紀和さんが…ごめんなさい…あの、紀和さん…怒らないで…」

頭を下げると、梨順は、真剣な瞳で紀和の父親の顔をじっと、見つめた。

「はあ…紀和と同い年で、こんな別嬪さんもいるんだなぁ。心配いらねえよ、お嬢さん。ケジメさえつけりゃ、俺はねちねち言う性分じゃねえんだ。さっき、紀和から話も聞いた。お嬢さんの方が、こいつなんかより、ずっと辛かったんだろう? よく、我慢したよなあ。お嬢さんは、偉えゃ」

「さてと、じゃ、話も終わったことだし、遅くなるから、皆このへんで、下校しようか? お父さん、お忙しい中お呼びだてして、申し訳ありませんでした」

「いや、とんでもねえです。今度からも、紀和がなにかしでかしたら、どんどん叱りとばしてやって下さいよ。足りなきゃ、俺がいつでもはり倒しに来ますんで。…じゃ、紀和。俺ぁもう一軒、お客さんの家に修理の見積もりで行かなきゃなんねえから、お前は、そこのお嬢さんをちゃんと送って帰れよ」

「言われなくても、そのつもりだよ。親父こそ、人様のお宅で酒なんか飲んで来るなよ!…さ、梨順、帰ろうか?」
「…うん」

二人は、夕暮れからすみれ色に変わろうとする廊下を歩いて、それぞれの教室へ、鞄を取りに行った。

「…梨順? まだ、支度終わらない…?」
自分が鞄を持っても、なかなか廊下に出てこないので、気になって紀和は梨順の教室へ来た。

電気もつけず、小声でしくしく…と泣いている、梨順が、そこにいた。

「どうしたの? まだ何か、私がいない時に他の人に何か言われたの?」
驚いて、紀和は鞄を廊下に放り出して、窓側に立っている梨順のそばへ向かう。

すると、紀和は、もっと驚いた。
いきなり、梨順が泣きながら、紀和へ抱きついてきたから。

「ごめんね…、ごめんね…」
それだけを繰り返しながら、梨順は紀和から離れようとしない。
「り、梨順…。大丈夫、大丈夫だから、ね。落ち着いて…?」

引き離そうとする紀和の頬と、抱きついたままでいようとする梨順の柔らかな唇が、一瞬、触れる。

お互いに、びっくりして、弾け合うように、体を離した。

「わっ、ご、ごめんっ、梨順!」
あたふたとする紀和と対照的に、
「紀和…頬、とても熱いよ…お父さんに、そんなに、叩かれた…? 痛いよね…?」
梨順は、そう呟くともう一度、そうっと唇を紀和の頬に、触れさせた。

唇が離れた後、紀和は、梨順の顔をろくに見られなくなってしまった。
恥ずかしいようで、困ってしまって、でも、嬉しくて、本当はもう一度してほしいような、複雑な気分。
だから、とりあえず、声に出して言う。

「あ、あの…梨順さ、もう、すぐ真っ暗になっちゃうし、…帰ろ?」
何だか、それ以上は言葉が胸に詰まってしまうので、紀和は梨順の片手をぎゅっと、握った。

「…うん」
梨順は、やっぱり言葉少なく、返事をすると、そのまま手を握り返して、鞄を持った。

すみれ色だった廊下は、もう暗くなっている。
誰もいない、誰も見ていない廊下を、二人は無言で歩いていく。

…だけど、どうしても、我慢できなくて。
紀和と梨順は、それぞれのクラスの靴箱へと別れる時、自然に、そっと唇を合わせた。

外へ出れば、部活動の眩しいライトで、手をつなぐこともままならないと、思っていたから…

(おしまい。…時間かかって、申し訳ないです!)