その時。
「うっせーなぁ、ったく!ベラベラしゃべくってねーで、書くもん書けよ!」
さっきまで、紀和と梨順より大声で、仕事もせずに彼女としゃべっていた同学年の男子が、怒鳴りつけてきた。
まあ、確かにおしゃべりに盛り上がっていた時だったので、紀和は
「あ…、ごめん」
と、言っておく。
それでも、その男子の怒りがおさまらなそうなので、紀和はちらり、とそいつらの模造紙をのぞき見する。
(…遅いわ、ワケわからん線並んでるわ、こりゃ、八つ当たりもしたくなるわなぁ…)
「へっ、それに何だよ、さっきから聞いてりゃ、ガイジンの自慢話ばっかじゃねー? よそ者のくせに、デカい面して日本の中学来てんじゃねーよ!」
「ちょっと、言い過ぎだよ、やめときなよ…」
相手の女子が止めるのも聞かずに、男子は暴言を吐いた。
梨順は、涙の粒ひとつ見せず、黙って聞いていた。
きっと、日本に来てから、この手の悪口を何度も聞かされてきたのだろう。
しかし、その瞳は、はっきりと怒りに燃えて、男子をにらみつけている。
模造紙の前に座ったまま、射るような視線で。
そして紀和は、彼女ほど辛抱強いたちではなかった。
聞いた瞬間、立ち上がっていた。
ひるんで座ったままの男子に向かって、駆け寄ると、背後から肩を思い切り蹴りつけて倒す。
スポ少の女子サッカーでFWを張り、関東大会決勝まで行った脚は、まだ衰えていなかったようだ。
さっきまでの悪態が嘘のように、男子は声も上げられないまま、その場にひっくり返る。
梨順は、びっくりした表情で、座ったまま、紀和を見上げた。
紀和が、泣いていたからだ。
肩を震わせて、悔しそうに、しゃくりあげて、紀和は泣いていた。
「ごめん、ごめんね、梨順…」
「どうして…? どうして、紀和が謝るの? 紀和、悪くないじゃない…?」
「違うよ…、あんな言葉、あなたに聞かせた自分が、あなたを守れなかった自分が、悔しくて、それから…あんな、あんなひどい事言う奴、あんなのと私が同じ国の人間だって、思ったら…哀しくなったんだ…っ」
パンパン、と、少しこもりがちに手を打つ音が、作業用に借りた教室に響く。
「あー、んじゃ、先生はこれからー、ここの転がってる2年の男を、念のために、保健室へ連れてっとくー。お前たちは、そのまま作業を続けるように。…あ、それからな」
それまでおっとりしていた担当教師の声が、急に険しくなり、実行委員の全員は、はっとしてそちらを見た。
「…お前たち、『言葉の暴力』って言葉、聞いたこと、あるよなあ? 怪我してできた傷は、医者と薬と時間で治る。だがな、『言葉の暴力』には医者も薬も効かず、時間が経てば経つほど、心の奥まで傷を深くしていくもんだ。…なぜ今、この話をしたか、実行委員になるほどのお前たちなら、わかるよな、あー?」
…事実上の、箝口令。
または、反論の許されない、ジャッジメント。
沈黙の中で、実行委員の全員が、それを理解した。
(つづく)