いま書いている「恋愛実行委員会」というお話、これにはモデルがあるのです。
それは、私の田舎時代。
お話と違うのは、梨順ちゃんだけでなく、いろんな国の人たち(アジア系の人たち)が、普通に溶け込んで住んでいたところです。
あと、コリアンの人たちは、日本名を名乗っていました。
いろいろ事情があったのでしょう…。
まあ、私の街はかつて軍都だったので、お国から徴用されてきてしまった、お気の毒な方々も多かったのだと思いますが…。
戦後になっても、年配の人の中には、差別的発言をする人もいました。
でも、そういう人のほとんどは、実際に外国から移り住んできた人たちとの接点もなく、頭でっかちの考えで、そう言っていたようです。
一番仲良くなれたのは、やっぱり、子供同士です。
十代の頃。
コリアンの女の子たちは、みんな可愛い子揃いで、遠いコリアン・スクールからひとり、またひとりと転校してくると、職員室前はその度に、男子で鈴なりになりました(笑)
どのくらい可愛いかというと、成人してから、地元の企業ポスターのモデルさんになったくらい。
彼女たちは、いつも笑顔で、日本語がとても上手。
普通におしゃべりを楽しんだり、故郷の国の服や遊びの話を、校庭に絵で描きながら、教えてくれました。
ハングルの新聞も普通に持ってきて、その上でお習字を書いたりしていましたよ。
駅で、コリアン・スクールに通学する、同年代の子達とも、よくすれ違いました。
県内に一校しか学校がないので、通学が遠くて、大変そうでしたね。
そこの女の子の制服が、とっても可愛いかったんですよ。
黒や紺のチマ(スカートみたいな方ね)がふわっとしてて、白のチョゴリ(ちっちゃくて可愛らしいブラウスみたいな方)が、その上にちょん、と乗っているみたいで。
「日本の中学の制服より、よっぽど可愛いよな~」なんて、思ったりして見てました。
別に、特別な政策があったわけじゃありません。
先生方からも「外国の子だから、特別いろいろ教えてやるように」とは言われませんでした。
だから、普通に仲良くできて、良かったのかも知れませんね。
そんな懐かしい昔を思い出しながら、「恋愛実行委員会」を書いています。
もうすぐで終わりになりますが、最後まで読んでいただけたなら、嬉しいな。