2013年3月16日土曜日

女子会ふたり。(5)

戦前の洋館を綺麗に保存して使っている、小さなホテル。
そのロビーで、榎本さんと森さんは、お茶を飲むことにした。

「わたし、アールグレイで」
榎本さんが先にオーダーをすると、
「じゃあ、私はクイーンメリーをお願いします」
と、森さんも続けた。

ふう…と、二人は柔らかな椅子にほぼ同時に身体を預け、向かい合ってくすくすと笑う。

「脚が、疲れちゃった。いつもヒールなんか履かないから」

「でも榎本さん、今日のパンツスーツ、よく似合ってるわ。チャコールグレイにペンシルストライプの生地、中はスタンドカラーの紺のブラウス。15の頃の、あなたのイメージが残ってる…」

「男みたいな、はねっかえりだっただけ。今も仕事先じゃ、男の子の後輩と一緒に外回り多いし」

「そう…教育係、ってわけね?…ますます、あなたらしいわ…」
森さんは、一瞬なぜか哀しい眼をして、また微笑む。

榎本さんは、運ばれてきたポットから、エキゾチックな香りの紅茶を注ぎつつ、気になって仕方のなかったことを切り出した。

「ねえ、やっぱり、すっごく気になる。森さんの、差し障りのない範囲でいいから、あなたのその指輪の話…聞きたい」

天井では、吊された大きな扇風機がゆったりと空気をかき回し、羽根の間に取り付けられた灯からは、ぼんやりと飴色の光が辺りを照らす。

森さんは、自分も甘い香りの紅茶を一杯注ぎ、純白の磁器でできたカップを、両手で包み込むように持った。

左手の薬指には…そう、気になって仕方がない、指輪が見える。

「あのね…気分、悪くしないでね…? この指輪、もう、私にとっては、だんだん意味が薄れてきてるの。それを戒めるための、おまじない…かな」

「……?」
謎めいた森さんの話しぶりに、ますます榎本さんは、訳がわからなくなる。

「…私、高校を出て、何年かお仕事してるうち、おつきあいを申し込んでくれた人がいてね…、22歳の頃だったかな、結婚したの」

「えっ、森さん、結婚早っ!」

「お勤めも、それを期にやめてね。内輪でお式を挙げて、小さなお部屋を借りて…今考えると、まるで、ままごと遊びをしてるみたいだったわ。楽しかった…彼が、亡くなるまでは」

「ええっ?!」
榎本さんは、ガチャンと音がするのも構わず、カップをソーサーに置く。

「初めての海外出張でね、先輩に連れてってもらうの、とても嬉しがっていたわ。私も、空港まで見送りに行ったの。彼はすごく照れて、来なくていい、って言ってたんだけど…虫の知らせだったのかしらね、私、どうしてもその時、空港に行きたくて、内緒で行ったのよ」

森さんは、淡々と、でも紅茶にはもう手をつけずに、話を続ける。

「その時は、私も彼も、考えてすらいなかったわ。…治安が良かったはずの出張先で、突然クーデターが起きて、会社の先輩と彼は…現地の事務所で、射殺されたの…」

榎本さんは、もう声も出ない。

「彼のご両親と、成田へ帰ってきた彼に、会いに行ったわ。シートに包まれて、飛行機の座席じゃない場所から四角い箱が出てきたのを見た瞬間、…黙祷をすることもできずに、私、気絶してたの」

「…気づいたら、実家の近くの病院のベッドの上だった。数日間、意識が戻らなかったって…。個室の中を見たら、刃物や紐のたぐいが、全部片付けられてたわ。…自殺でも、すると思ったのかしらね…」

ふ…、と、森さんは、遠い目をして苦笑いした。

「それから…しばらくして、彼のご両親が見えて、籍を抜いてもいい、って言ってくださったの。でも、私は、彼との思い出を消してしまいたくはなかった。だから、言ったわ。『私は、森に嫁いだ身です。おとうさんと、おかあさんがもし許していただけるなら、お二人の娘のままでいたいんです』って」

「そんなわけで…22歳の未亡人になったのだけれど、それも、運命だったのかな…。それでもね、私の心って残酷なもので、少しずつ、少しずつ、彼との楽しかった思い出が、薄れていくの」

「ごくたまに、物珍しさで声をかけてくる男性もいたけど、もちろん、彼との思い出とは比べものにならなくて、断ってばかりだったわ。…でも、思い出が遠くなっていく自分が悔しくて、他の男の人に声なんかかけられたくなくて、私、この指輪、ずうっと、はずせないでいるのよ。この指輪は、私と彼をつないでくれる、おまじない、なの…」

一息に話した後、森さんの瞳から、つうっとひとすじ、涙が流れて、落ちた。

(つづく)