今年の春は寒さが遅くまで残ったせいで、美桜(みお)と青葉の住む、山ふところの城下町には、まだ桜が咲いていた。
「ねえ、明日のお休み、城跡の公園へ行かない?」
「なら、またお堀の貸しボート乗るの?好きねえ、青葉は…」
「だって、もう来週になったら、いくら何でも、桜の花、散ってしまうわよ?」
熱心に誘う青葉に、根負けして、美桜も首を縦に振った。
ギイ、ギイ…。
早朝の休日、お堀に木の擦れる音が響く。
櫓をきしませて、青葉がボートを漕ぐ。
誘った手前、自分の方が多く漕がなけりゃ、と思っているようだ。
そんな義理堅いところが、美桜をクスリと微笑ませる。
「ねえ、桜、綺麗…?私、漕ぐのに精一杯で、あまり見ている余裕がないのよ」
「あら、誘っておいて、あきれた。…ええ、とても綺麗よ。まだ朝露が乾ききっていないのね、おひさまの光でキラキラしているの。何だか、私たちにお話したそうに、こっちを向いて咲いているわ…」
「まあ、上手いこと言って!」
美桜の言葉を褒めながら、実は、青葉は彼女のくるくる変わる可愛らしい表情ばかり見ていた。
「ねえ、また今度、来ましょうね。今日は青葉にたくさん漕がせてしまったから、次は私が漕ぐわ」
「え、あなたが?そんな力、あるかしら?」
驚く青葉ににっこりしながら、美桜は返事の代わりに、黙ってちょっと首をかしげて見せた。
次の休日、少し暖かくなったので、二人は夕方にお堀端で待ち合わせた。
「まだ、暗くはなっていないけど…大丈夫?」
「大丈夫よ。それに、ボート屋さんだって、陽が落ちる前にお店を閉めてしまうわ」
青葉を説き伏せるように、静かに話しながら、今日は美桜がボートを漕ぐ。
「へえ…このあいだの桜も綺麗だって、あなた言ってたけれど…夕暮れ近くの風がそよぐ頃も、なかなかだわ」
「あら、そうなの。ねえ、今日はあなたが私に教えてちょうだい。ボートから見えるのは、どんな景色なの?」
美桜の言葉に促されるように、青葉は話し始めた。
「そうねえ、もう桜は散り透いてしまったけれど、その代わりに柳の若い芽がたくさん枝から芽吹いて、緑の幕のようだわ。ゆらゆらと夕風に揺れて、私たちを手招きして呼んでいるみたいよ」
「そうなの、面白いわねえ。それに、なんだか浪漫があるわ。私たち、ゆっくりこの城跡にやってきた、春に呼ばれているのかもしれないわねえ…」
水紋をゆったりと描きながら、少女二人が乗った貸しボートは、お堀をゆっくり流れてゆく。
やがて、可愛らしい木の桟橋で、お店の人に手を取られながら陸へ上がる頃には、春霞が美桜と青葉の姿を隠すように、ほんのりとたなびき始めるに違いない…
(おわり。…はい、武島羽衣さん・滝廉太郎さんの曲「花」をイメージしてみました)