2012年8月23日木曜日

鹿乃子ちゃん、叫ぶ!(2)

「…ど…どうして…」
普段に似合わず、動転した鹿乃子が訊ねると
「分からない?」
と、和也お兄様は卓に頬杖をつき、優しくお訊ね返しになる。

「あ…あの、…ガーズのお部屋で、…私が、お兄様の、ことを、お話申し上げたから…」
こわごわ答えてみると、
「うん。その通り。…でもね」
と、ここでちょっとお兄様は、真剣なお顔をなさった。

「……?」

「ちょっと俺としては、気になる点が、二つばかりあるんだな、うん」

(いやだ、やっぱり和也お兄様、怒ってらっしゃる!どうしよう…)
正座のまま、襖の前の板敷きで身を固くして座っている、鹿乃子。
それに改めて気づいたように、和也お兄様は
「その二つの話は、子鹿が部屋に入ってからにしよう。入って、襖を閉めて」
と、やや命令口調でおっしゃった。

無論、逆らう気など毛頭無く、言われたとおりに、鹿乃子は動く。
「もう少し、こちらに寄って。そう、その座布団を当てる」
お兄様との距離が縮まるのを怖く思いながら、鹿乃子は、言うとおりにまた動く。
「人に聞かれては、まずい話だからな。だから、こうして俺の離れに呼んだんだ」

(わあん、お、怒られるー!)

鹿乃子が恐怖で目をつぶっていると、和也お兄様の声は、また、優しく戻った。

「まず一つは、子鹿が俺を慕っているって、直接お前から聞きたかったって事」

(え……?)

こわごわ目をあけてお兄様を見ると、ほんのりと、頬をそめていらした。
こんなお顔を拝見するのは、初めて。
ということは、鹿乃子自身も、いま頬を真っ赤にしているに違いない。

「そしてもう一つは、俺の方から先に、お前を好いているって、言いたかった事」

「えええええーー!!」

鹿乃子は、もう我慢できずに、声に出して叫んでいた。

「でもまあ、婦女子の方から先に求愛してもらうってのも、思ってたより悪くないな。周りの若い奴らも、しきりにうらやましがってたぜ」

「いやいや、いやです。恥ずかしい……もう、いや!」
顔を洗うときのように、両手で顔を隠して恥ずかしがる鹿乃子。
その両手首をそっと持って、ゆっくり外していきながら、和也お兄様は微笑む。

「本当に、嬉しかったんだぜ。…子鹿」

「…お嫌いに、ならない?…お兄様」
「誰を?」
「…私を」
「何でまた?」
「…だって、…こんな大切なことを、お兄様に申し上げる前に、ガーズの方々の前で叫んでしまって、…女だてらに、はしたないし…失礼だし…」
鹿乃子が言い終わるか終わらないかのうちに、和也お兄様は、プーッと吹き出した。

「ど、どうして吹き出されるんですか!」
思わず、鹿乃子が声を荒げると
「ほらほら、そういう所さ。次の間には侍女達がいるんだし、声を小さくしとけよ。言いたいことを言う、ちっともはしたなくなんかないさ。うじうじしてるより、俺はずっとつきあいやすいと思うけど。それに、そういう真っ直ぐな所が、朱宮 鹿乃子さんの一番の魅力なんだから。それを悪く言っちゃあ、いけない。俺も、お前のそういう所と、さっき見せたみたいに恥ずかしがり屋だったり、意外と泣きべそさんだったりと、両方が好きなんだからな」

「……そんな、やっぱり……恥ずかしい、です……」
「こんな事言う俺は、軟派で嫌いか?」
「いいえ!全然!だって…だって私、ずっと…」
「ずっと、何?」

お兄様の声はもう、とろけるように甘くて、まだ十四になったばかりの鹿乃子には、聞いているだけでもくらくらしてしまう。

それでも、ちゃんと自分で言わなくちゃ、と気持ちをふりしぼって、でも小声で
「ずっと…ずっと、和也お兄様だけ見てて…お兄様のことが、好きでした…」
と、がんばって、告げることができた。

「可愛いな、子鹿。俺からも、改めて言わせてくれ。俺も、お前がとても好きだよ」

和也の和室は、火鉢を十個も置いたみたいに、熱くてしかたがない。

「お前が、あんまり可愛いから、お前が十六になって婚約(エンゲージ)するまで、我慢しようと思っていたことがいくつもあったのだけど、二つだけ、破っていい?」
「えっ」
「一つは、二人きりでいるとき、互いの呼び方を変えよう。俺は…鹿乃子、でいいか?」
嬉しくて、鹿乃子は目眩にも似た感覚に酔いながら
「…はい」
と、素直に答える。

「俺の事は、なんて呼んでくれる?もう『お兄様』扱いじゃ駄目だぜ」
「では……和也さま、と……」
「…悪くないね。それじゃ、もう一つの方なんだけど…もっと、こっそり話したいんで、もう少し俺の方へ寄ってくれないか」
「このくらい、でしょうか?」
「えーと、もう少し。内緒話ができるくらい…」
言われた通りに鹿乃子が顔を寄せた途端、和也の顔がパッと近づいて、唇と唇が微かに触れて、そして離れた。

「……!」
急に大人の行為に及ばれてしまった鹿乃子は、声を上げることすらできない。
対照的に、少々物足りなさを感じながらも、十四歳のファーストを頂戴して満足している和也の方は、余裕の笑みで鷹揚に構えながら、そんな鹿乃子の狼狽ぶりを可愛くて仕方ないといった風情で、鑑賞している。

「あと二年、鹿乃子が十六になってエンゲージが済んだら、こんなもんじゃないからな。覚悟しとけよ?」
と、和也が構うと
「…ええと、『こんなもんじゃない』と申しますと…どんなもんなのでしょう…?」
鹿乃子が首をかしげながら、でも真剣に聞いてくる、その一途さもまた可愛らしい。

「弱ったな。……俺、だんだん我慢が効かなくなってきちまいそうだぞ。…んーまあ、お前んとこの春野には絶対相談できない分野だしなあ…。そうだな、とりあえず、分からない事は何でも俺に聞いてみてくれ。俺も、実はよくわからない所があったりするんだが…まあ、男同士の友人の方がそういう面はいろいろ教えてくれそうだしな。いいか?他の奴には絶対聞くんじゃないぞ、鹿乃子。天子様にかけて、俺は絶対お前を悪いようにはしないから。わかったか?」

とまあ、少々怪しげな和也の答えにも、
「はい!存じました。その…和也、さま」
と、健気にはにかみながら答える鹿乃子であった。

初めて「和也さま」と呼ばれて、心臓を打ち抜かれそうな彼女の可愛いさに内心ドキッとしている、和也の様子には気づかぬままに。

(おわり…とりあえずは)