2012年8月23日木曜日

鹿乃子ちゃん、叫ぶ!(1)

参謀本部へのお使いから帰って間もないある日、鹿乃子は「四神会」の集まりに呼ばれた。
これは、いつもの『お集まり』ではなく、近衛師団(ガーズ)の男性だけの集まりなので、女子である鹿乃子が呼ばれるのは、極めて異例なのである。

(何かしら、いったい…)
まあ、先だっての参謀本部での所行からすると分かりそうなものなのだが、当の鹿乃子にとってはそんなの日常茶飯事なので、呼ばれた訳が分からないのだった。

今回は玄宮で「四神会」が行われたが、可愛い双子の梅子と桃子に会える様子ではない。

侍女に案内されて、
「失礼いたします…」
と入った部屋は、紫煙がたちこめ、いかにも紳士の社交場という雰囲気だった。

「あ、あのう…こちらの部屋で、私、間違いございませんか?」

「大丈夫だよ、鹿乃子ちゃん。我々がここへ呼んだのだから」

叔父様達が深々とソファに掛けながら、煙草を嗜む様子にほっとする。

「さてね。…もう話の内容は察しがついてるかと思うが、先日、司令部で、かなりの大立ち回りを演じてくれたそうじゃないか?特に若い者達には、もっぱらの噂だぞ」
構うような叔父様達の口ぶりに、ちょっと困りながら、
「でも…いちどきにお三人も向かっていらしたら…私、ああするしかなくって…」と、鹿乃子は答えた。

「いや、しかし見事だったそうじゃないか。…どうだ、鹿乃子姫。いっそ、そのおかっぱを短髪にして、男装姿で今からでも、陸軍幼年学校を受けてみないか?合格、請け合うぞ」
「もう…おからかいにならないで下さいまし!」

そんな冗談話が一段落した後、「四神家」の当主達は、ソファに座り直し、入り口近くに立っている
鹿乃子を、揃って見つめた。
今日の着物は、大きく織り上げた三つ輪重ねと矢羽根を朱と白の色違いにした銘仙お召しに、上下が黒繻子で中央を尖端の機関車柄にした昼夜帯。帯揚げと帯締めは白でふんわり太めに仕上げ、帯留めは御所車の車輪を使って、帯の柄に揃えた。
「いつもより、着物はくだけて来るように」との仰せに合わせて。

「時に、鹿乃子。いくらお前が文武両道で剛胆であろうとも、朱宮家の次期当主継承権はない。理由はひとつ。お前が、婦女子であるからだ。…存じていような?」
「…はい。不本意ながら」
その彼女らしい返事に、部屋にいる男達から失笑がもれた。

「このままでは、「四神家」筆頭の朱雀が、断絶になる。それは天子様や直宮様方にとって、この上ない不敬に当たる。それも、わかるな?」
「…わかります」
「では、どうしたらこの現状を打破できると思う?」

長いような、短いような、時間の後。
鹿乃子が、口を開いた。
「…わ、私が、婿君をお迎えあそばして、その方に、継承権を有していただくこと、でしょうか…?」
「うむ。さすが、利発な姫だ。我々も、そう思っている。ただ…かなりの重責、そのへんの誰でもつとまるものではない。ある程度、限られた人物の中から男子の人選は行われるべきだろう」

ここで、鹿乃子は、十年前に和也が尋ねられた(無論、彼女は知らない)質問を投げかけられることになった。

「鹿乃子姫。これは、お前の一生のためにも、「四神家」の存続にも関わる事柄となるから、正直に話せ。男ばかりの中で言いづらいなら、後に母上でも侍女頭に話すのでも構わぬ。…お前、今、心に秘めたる男子は、いるのか?」

鹿乃子は、間髪入れずに
「はい、おります」
と、答えた。
たちまち、部屋中にざわめきが広がる。

特に大騒ぎをしているのは、若い近衛兵たちだった。
「大したもんだ、この部屋の紅一点が、何とはきはきと物を言う!」
「しかも、色恋の話でこうもスパッと答えられては、参ってしまうなあ」
「ここまでくると、お相手は誰なのか、名前を聞かずにはいられまいよ!」

若いガーズに属する四神家の殿方から構われて、つい鹿乃子はカッとなって、大声で叫んでしまった。

「いけませんか?私が、十歳違いの和也お兄様を、小さな頃からお慕い申し上げていては!」

この大胆な告白に、周りを囲む全員はもちろん、当の鹿乃子まで驚いていた。

「いやあ、さすがに朱宮の一人娘、肝がすわったもんだ」
「話には聞いていたが、実際に聞いてみると、なるほど、迫力が違うね」
などと、鹿乃子の父上と同じくらいの筆頭格の将校たちは、おっとりと構えていらっしゃる。
もちろんそこには、和也と鹿乃子がお互い知らずに想い合っていた事への、安堵もあろう。

一方、和也とそう年の変わらない、若い近衛兵達は、
「こりゃ驚いた!女から申し出るなんて、今まで聞いたことがないや」
「全くだ。…ところで、ご当人はどこだい?」
「また、あいつの事だから馬の手入れか?早速、皆で手分けして探し出して、鹿乃子姫の言葉を伝えなければね」
などと、てんでに好き勝手を叫びながら、部屋を飛び出していった。

どこへも行く所のない鹿乃子は、ガーズの部屋の隅に立ちつくしたまま、紫煙に包まれて、しくしくと泣き出してしまった。

「おやおや、鹿乃子ちゃん。そう心配するものではないよ」
「悪口を言ったわけではなし、いつものお前さんのように、どんと構えておいで」

将校の叔父様方は優しく声を掛けて下さるのだけど、かえってそんなふうにいたわられるほど、なぜだかほろほろと止まらなくなってしまった。

すっかり泣きはらした目を侍女頭の春野に氷で冷やしてもらい、運転手の片桐を呼んでもらうと、鹿乃子は自分専用の車へ乗り込んだ。

(和也お兄様に、ひとこと、お詫び申し上げたかったわ…お騒がせして)

そんなことを考えながらぼんやりと車窓を見ているうち、おや、と鹿乃子は気づいた。
「片桐?どうしたの。この道、うちへ戻る道じゃないわよね?」
「ええ。ただ、先程わたくしもこのお車へ乗り込みます折に、御前様から、こちらの行き先へ向かうように…との、仰せがございまして」

この道。
小さな頃から、何度も遊びに通っていて知っている道。

和也お兄様がお住まいの、白宮家へと続く道であった。

いつ来ても心の落ち着く、平屋で広々とした数寄屋造りのお屋敷。
「こちらの侍女の方について、お進み下さるように…と、承っております。春野さんは、次の間に。お帰りの際は、こちらで電話していただいて、お呼び付け下さいませ」
片桐は、そう言うと広い前庭で車を回し、出て行ってしまった。

なんだか、いつもと違う。
さっきの自分の叫んだ一言と、関係ありそう、なのは、分かる。
でも…その先が、皆目見当つかない。

(和也お兄様…お怒りになっていらっしゃるのかしら…)
鹿乃子の足取りは、だんだん重くなっていった。

「こちらでございます。春野さんは、こちらのお部屋で」
白宮家の侍女は、まず春野を侍女部屋へと案内してから、鹿乃子には、離れの中の大きな襖の部屋を示した。

「失礼、いたします…」
小さな頃から教わった、和室のお作法通りに、正座で二度に分けて襖を開け、頭を下げ、直ったとたん、鹿乃子は息を呑んだ。

そこにいたのは、和也お兄様、その人だったからだ。
軍服を脱ぎ、紬のお対に紺足袋の姿は柔らかくくだけ、また普段と違う大人らしさも漂わせていた。

(つづく!)