2012年8月25日土曜日

エンゲージ(1)

そして、二年間は飛ぶように過ぎ。
いよいよ今日は、和也と鹿乃子の婚約披露。
港町の、クラシックなホテルにて、四神家の人々や、ゆかりのある方々を招いて行われた。

鹿乃子は、髪こそ結っていないでボッブヘアのままだが、総絞りの緋鹿の子の振袖に、大輪の牡丹が刺繍された丸帯。
和也は、もちろん近衛兵の礼服を、一分の隙もなく身に纏っている。

「鹿乃子ちゃま、おすてき!とてもよくお似ましでいらっしゃる」
「本当に、おすてき!お二人並ばれると、まるでお人形さんのよう」
玄宮家の梅子と桃子が、そっくりの顔でそっくりの声で、きゃあきゃあ喜ぶ。
新しく妹を持つ蕗子は、柔らかなすみれ色の五つ紋で、ほんのり微笑む。
ただ一人、蒼宮家の柚華子だけは、イライラと飲み物ばかり頼んでいた。

(ど、どんな顔をしたらいいのかしら…)
緊張のあまり、隣にいる和也を見ることも出来ず、鹿乃子は目の前に現れる人々一人ひとりに返礼を申し上げるので、精一杯だった。

ようやく、鹿乃子が和也を見られたのは、宴もお開きになった、宵の口。
「鹿乃子、疲れたか…?」
「はい…。正直、何が何やら…」
「俺もだよ」
ふたり、顔を見合わせて、ふふ、と笑い合う。

「その着物、よく似合ってる。…名前通りで、とても綺麗だ」
「和也さまも…今日の礼服は、一段と凛々しゅうございます」

ラウンジからは、窓越しに海が見える。
灯台だろうか、微かな光が回ってきては、また消えていく。

「腹、減ってないか?何もつまめなかったろう?」
「まだ、ちっとも減りません。和也さま、よろしかったら何か召し上がって下さい。私はお茶をいただく位で、もう今日は十分です…」
優しい和也の気遣いに感謝しながら、でも鹿乃子は、正直に打ち明ける。
「俺も、実は胸がつかえたみたいで、今は食う気がしないや。…じゃあ、部屋へ、上がろうか?」
「…はい」
手を取るようにして、和也は鹿乃子をア・ラ・モード(最新式)の昇降機へ誘う。

婚約披露を十六になってすぐ行ったのは、結婚を急ぎたいという二人の希望はもちろん、鹿乃子の女学園が東京にあるため、そこを離れた土地で、真偽取り混ぜた噂が流れる前にこぢんまりと披露を行いたい、という申し入れを、皆が受け入れてくれた…といういきさつがある。
また、一生に一度の記念でもあるし、和也も鹿乃子も互いに日々忙しい中、時には非日常の空間で、ゆっくりと二、三日ほど過ごさせてやりたいという、四神家全体の温かな思いやりからくるものであった。

無論、あの十四の日の、鹿乃子の熱烈な宣言は、皆が知っている。
だが、その後に二人だけで会えたとき、少しずつ愛し方が深まっていることは、知らない。

和也も、そして鹿乃子も、今夜と明日の夜が、きっと特別な夜になるだろうと、予測はしていた。
ただ、鹿乃子は、何がどう進んでいくのか、今までと同じく、やはり分からない。

昨夜の、春野の言葉が思い出される。
「若様が何かおっしゃったり、ご所望なされたりしましたら、全て『はい』とお答え申し上げなさいませ。ただ、お嬢様はまだ十六、勉学に励まれていらっしゃるお身でいらっしゃいますから、くれぐれもお慎みあそばしますよう…春野よりの、分を過ぎたお願いでございます…」

やっぱり、わかるようでわからない。
ここは今まで通り、和也さまに一つずつ、教えていただくしか術はないようだ。

和也が先に部屋に入り、シャワーを使う。
ヘチマ襟の長い西洋風の寝間着は、それでも背の高い和也には少々つんつるてんで、鹿乃子を笑わせた。
「…鹿乃子も、入っておいで。湯船があるから、ゆっくり浸かってくるといい。疲れがとれるぜ、きっと」
「…ありがとうございます」
鹿乃子が、さっそく自分の鞄から身の回りの物を出そうとした時、和也は、少し口ごもりながら、横を向いて、言った。
「……その、…下着は、つけなくて、いいから。…俺も今、つけてないし。この寝間着、とてもよく汗を吸うから…」
その言葉を聞くなり、鹿乃子は、かあっと耳まで赤くなった。

(やっぱり…今夜は、今までと、何か…違うんだわ…)

「…はい…」
言われたとおり、寝間着だけ持って、鹿乃子は浴室へ入った。

金色の猫のような脚がついた、乳白色の湯船に、鹿乃子は広々と手足を伸ばす。
小柄な彼女には、十分な大きさだった。

(くちづけは、十四のあの時に、初めて教えていただいたわ。それからだんだん、深いものがあるのだって、教えていただいて…。着物の上から、お胸を優しく触られたこともあったわ。他の誰でもあんな事はいやだけど、和也さまなら、嫌じゃ…なかった…)

そんなことを考えていると、十六に近くなった頃から、変な気分になってくる。
自分の体が、変化していくのが、見えなくても分かる。
(いやだわ、こんな姿、和也さまに知られたら…蓮っ葉だって、嫌われてしまうかも…)
念入りに鹿乃子は体を洗い、よく拭いた素肌に寝間着をまとった。

「あの…和也さま。お待たせ、いたしました…」
鹿乃子が部屋へ戻ると、二つあるうちの片方の寝台(ベッド)に、寝間着姿の和也がうつぶしていた。
「…待ったよー」
でも、その声は怒ってはいない。
「待ってるうちに小腹が減っちまってさ、今さっきボーイに頼んで持ってきてもらったんだ。どう、鹿乃子、食べるか?」
丸い銀の蓋を開けると、小ぶりで綺麗に盛りつけられたサンドウィッチが、赤紫の蘭の花を添えて載っていた。
「まあ、可愛らしい!」
浴室で緊張していた分、ほっとほぐれて、鹿乃子は和也に勧められるまま、一緒に何切れかを口にした。

「やっと、いつもの鹿乃子の顔に戻ったな。今までは目がつり上がって、般若のお面みたいだったぞ?」
「いやだあ、それは言い過ぎです!…でも、本当に今日は、緊張しっぱなしでした。本当の自分を、どこかに置いてきたみたいで」
「そうだな。…良く、わかるよ。その気持ち。軍人の俺だって、今日はさすがに平常心を保つことは至難の業だった。ましてや、おまえは十六になったばかりの女学生だ。卒倒してもおかしくない」
「まあ、和也さま、私が本当にそんなに、たおやかな婦女子だとお思いですか?」
「…嘘だよ」
くっくっくっ、と和也は肩を震わせて笑う。
「ほらぁ、やっぱり。ひどーい!」
頬を膨らませて、枕を投げつけようと持ち上げる鹿乃子に、
「よしよし、本当の鹿乃子はしっかり戻ったみたいだな。…じゃあ、おいで?」
と、急に甘い声に変わった和也は、お転婆な婚約者に向かって両手を広げる。

(そうなんだわ…。お風呂にゆっくり入れて下さったのも、サンドウィッチを頼んで下さったのも、私をたった今構われたのも、みんなみんな、私の心をほぐそうとしてくださったんだわ。和也さま…)

鹿乃子は、素直にこくりとうなずくと、持っていた枕を置き、幼かった頃のように、和也の胸に顔を埋めた。
くすぐったいけど、あたたかい。ドキドキする。
しばらく、二人とも寝間着で抱き合っているのが心地よく、そうしていた。

(つづく)
*おまけ…次回から、18禁要素が強まってくる可能性がありますので(いや、そーゆーサイトですが)苦手な方、次回以降はしばらく逃げて下さい。タイトルで大丈夫っぽいかどうか、匂わせますから!