2012年9月15日土曜日

エンゲージ・その後(6)

その夜、和也は朱宮家に一晩招待された。
「ねえ、本当なの?お母様は、女学校を中退なさって、お父様とご一緒になられたって?」
全員が揃った夕食の席で、さっそく鹿乃子は訊いた。

「マア、そんな大昔の事、忘れてしまいましてよ…。鹿乃子さん、それよりも和也様にもっと召し上がってくださるよう、貴女から給仕係に声をおかけなさいな」
社交的にさらり、と受け流しながら、鹿乃子の母は和也におかわりを勧める。
「そうだな。和也君にはもっと滋養を付けてもらって、近衛師団の中核として、それからこの朱宮家の継承者として、今後もますます活躍してもらわねば」
父が、和也の杯に葡萄酒を注がせながら言う。

「はっ、勿体ないお言葉、恐悦至極に存じます」
和也が青年将校の顔に戻って返事をすると、
「んもう、堅苦しくてよ、お父様も和也様も!お食事の時は皆で美味しく頂くのが一番、って、いつもお父様がおっしゃってるじゃないの」
鹿乃子がぷーっと頬を膨らませる。

「あ、いや、そうだったかな、すまんすまん…」
と、父は一人娘に甘い口調に変わり、和也は鹿乃子を見てくすくす笑い出した。
「あーっ、どうしてお笑いでらっしゃるの?」
「…いや、下関で冬にとれる、あの魚にそっくりだと思って…」
「下関…冬…?あ、わかったわ!河豚ね!…って、和也様、おひどいわ!」
一段抜けた鹿乃子のやりとりに、その場の一同、配膳係までが大笑いとなった。

家族や使用人達の心遣いで、その夜、二人は屋敷の一番端にある、めったに使われない貴賓用の寝室を使わせていただけることになった。
「私…こんなお部屋があったなんて、知らなかった…」
和也の手で、天蓋付きの寝台に抱き下ろされながら、そのふうわりとした手触りにも、鹿乃子は驚いている。
「この敷布、いつもの麻布(リネン)じゃないわ。…どうして、羽二重なのかしら?」
和也には、その理由がすぐに分かった。
(ああ、そうか。今夜は、新婚初夜だからと、お気遣いいただいたんだ…)

間もなく、鹿乃子の純潔の証が、この羽二重に残される。
呼べばすぐに侍女頭が飛んできて、朱宮家の当主夫妻に、その証をご覧に入れるのだろう。
でも今、当人の鹿乃子は、
「不思議ねえ…」
と、首をひねっている。
その世間知らずな仕草があまりに可愛らしくて、それから、話してしまうと鹿乃子が今夜を拒んでしまうように思えて、和也は、あえて黙っていることに決めた。

「今夜は、この間約束していた、あれを使うよ」
「えっ?…ああ、秘密にしてらした、っていう…何なのでしょう?」
「塗り薬さ。今よりもっと、気持ちが良くなる。それから、辛い時がもしあっても、その辛さがなくなってしまうんだ…」
初夜の意味もわからない十六のお嬢様には、そう告げておけば十分だ、と和也は思った。
今夜はある種の儀式のようなものだし、まだ幼さの残る鹿乃子の体に、無理はさせたくなくて、あえて今夜、この媚薬混じりの潤滑剤を試そうと考えての事だった。

いつもより、二人の夜はゆっくりと進んで、やがて鹿乃子がかぼそい声を上げながらぐったりと寝台にねそべると、和也は羽二重の敷布を引き抜いて、分かってはいても自分が初めての相手だったことの証を確かめ、ブザーを押した。その間に、薄い上掛けを鹿乃子と自分の体にかける。
待っていたように、侍女頭の春野が飛んできた。無言で、頬を染めながら和也が羽二重を彼女に渡すと、春野は感激に今にも泣きそうな表情をしながら、布を押し頂き、当主夫妻の寝室へと運び去って行ってしまった。

「…鹿乃子?痛いか?」
言いながら、昔学んだ源氏と紫の上のようだ、と、和也はふと思う。
「いいえ…和也様が、何度もお薬をつけて下さったおかげで、そんなには…。でも、お嫁入りをすると、こんな事も、するのですね…」
まだ、初めての経験の余韻に、鹿乃子はぽうっとしていて、それもまたあどけなさが残る。
「嫌に、なった?」
「まだ、よく、わかりませんけど…でも、今考えると、そんなに、嫌じゃ…ない、かも…」
最後の方は寝息と入り交じった言葉で、鹿乃子はすやすやと眠り込んでしまった。

「うん、さすが、わが花嫁はお転婆さんだ」

和也の方は待ち望んでいた夜の到来と、潤滑剤に混ぜられた媚薬とのおかげで、初夜というのに少々、度を越してしまった。そのため、鹿乃子に途中で拒まれたり、今後はもうしたくない、と言われるかと思っていたのに、彼女のこの度量の大きさ。

「いろいろ教えてもらうのは、鹿乃子ではなくて、俺の方かもしれないな?」
和也は、そう言って小声で笑うと、鹿乃子の隣に横になって、寝台の灯を消した。

(おわり…お疲れ様でした~)