2012年7月24日火曜日

「お集まり」(5)

蕗子さまは、和也お兄様のお妹御にあたられる、白宮家の末娘。
白宮家は男のご兄弟が多くて、しかもみな成人しておられるから、
女学校を卒業されてそう幾年もたたない蕗子さまが、なお嫋々として見える。

今日のお召し物は、柔らかな鶸(ひわ)色の、肩から裾にかけて四季の花々がふんわりと染め出された友禅。
おとなしい方だから、やわらかものがよくお似ましになる。
長い髪は結い流しにされ、後ろをお召し物と同じ布で結んでいらっしゃる。

「おすてきねえ…私になんか、あんなお洒落、一生できないわ…」
「何、比べてるのよ。当たり前じゃないの」
うっとり見とれる鹿乃子に、柚華子が悪態をつく。
「だって私、派手で幾何学的な柄の織りが大好きなんですもの。いかにも銘仙みたいな」
「そうねえ、あなたの性格からいくと、そうなるでしょうねえ」
「柚華子さまだって、いつも洋装でいらっしゃるでしょ? お通いの女学校もせえらあ襟のわんぴいすがご制服だそうだし…」
「だ、だってしょうがないじゃないの。蒼宮は皆、生まれた時から洋装ですもの!」

と、いつの間にか二人が言い合っていると、
「お静かに…」
と、母上より年上の大伯母様方から、ジロリ、と睨まれてしまった。

「ちょうど近日中に、蕗子が習っておりますピアノの御教室で、発表会がございまして。もういい年でございますし、一度は辞退申し上げたのですが、先生が是非にとお声をおかけくださいまして。
『お集まり』の席をお借りいたしまして、本人に少々、度胸付けをさせてやってくださいまし…」
白宮の御令室がお話される隣で、蕗子さまはうつむき気味で立っていらっしゃる。

楽譜は、お持ちでは無いみたい…暗譜でいらっしゃるのね。
どんな曲を弾かれるのかしら?
お静かな曲? お可愛らしい曲?

鹿乃子は、椅子の調節をされる蕗子様のご様子を、蒼宮家のすたいんうぇい製グランドピアノ越しにちらり、と見ながら予想した。

予想は、美しく外れた。

華やかで、迫力のある、情熱的な出だし。
(まあっ、ショパンの「英雄ポロネーズ」だわ !それを、お着物で弾かれるとは…!)
肩に余分な力を入れるでもなく、美しい姿勢を保ったまま、それでも鍵盤を叩く力強さは確かで。

サロン室全体に、「ほう…っ」と、誰からともなくため息が広がる。
そしてまた、その曲の後ろに隠れるように、ひそひそ話が流れて回る。
「蕗子さま、いよいよ近日中に、お決まりだった方とご婚礼をお挙げになるらしくてよ?」
「婚約(エンゲージ)なさってから、もう、経ちますものねえ」
「それで、独身時代の思い出に、今まで固辞していらした、ピアノの発表会もご出演を決められたとか」
「四神家の令嬢の中で、一番のおとなしやさんだと思っておりましたら、まあ…意外と。やはり、血は争えないものなのでしょうかね?」

奥様方のひそひそ話がちょうど一区切りした頃、蕗子さんのピアノが終わった。
おしゃべりばかりの御令室様方は、型通りの軽めの拍手で終わったが、蕗子さまより年下の令嬢たちは、すっかり興奮して、大きな拍手をしながら、まだピアノの椅子に座ったままの蕗子さまに駆け寄り、取り囲んだ。
「蕗子お姉様、なんておすごいんでしょう! もう私、心臓がドキドキしてしまいましてよ」
「弾いていない鹿乃子さまが、何でドキドキするのよ。…私はもうすっかり、聞き惚れてしまいましてよ」
「蕗子おねえちゃま!おすてき!私もあんな風に、弾いてみたあい」
「そうなの。梅子も桃子も、練習不足だって、いつもマダム・レイナに手を叩かれますのよ?」
そんな年下の…妹御のような…娘達のさえずりを、蕗子お姉様はふんわりとした笑顔で聞いてくださる。

(でも…なんだか、ちょっと、お寂しそう…?)
誰にも言わないけれど、鹿乃子は、ある童謡の一節を思い出した。

文金島田に 帯締めながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ……。

まだ女学校一年の鹿乃子には、分からない。
分からないながらも、何となく、雰囲気というものは感じられる。

(今日の『お集まり』は、もしかすると、お家へ納まってしまわれる、蕗子お姉様のお別れの会だったのかもしれないわ…)

そこへ
「何、似合わずにぼんやりしてるのよ。お菓子を皆様に回すのくらい、手伝ってちょうだい!」
相変わらず、柚華子のキンキン声。
ふと見ると、からくり人形さんのような梅子と桃子も、かいがいしく働いている。

(私たちには、親族であったり、姉妹であったり、同じ年の少女が四神家の中にいるわ。でも…蕗子お姉様は、私たちが生まれるまでは、もしかしたら、ずっと一人で…それってどんなに、心さみしく、よるべなかったことでしょうね…)
鹿乃子が、ふっと思っていると、
「かーのーこーさん。聞こえてるの?!ちゃっちゃと手伝ってくださいな、ちゃっちゃと!」
珍しく、くだけた言葉遣いで、キンキンと柚華子が采配を振るう。

鹿乃子も、大急ぎで手伝いの輪に入りながら、
「ね、柚華子さん。私ね、あなたと同い年で、この四神家に生まれて、一緒に育つことができて、良かった、と思うわ。本当よ?」
と、ささやいた。
その途端、柚華子が持っていたくっきーの皿がすとーんと床に落ち、梅子と桃子が
「あらー」「きゃー」
と小声で叫びながら、片付けに走ってくる。

「かっ、鹿乃子さん…あっ、あなたねえ…こんな、忙しい時に、何を…」
さっきまでのキンキンはどこへやら、顔を真っ赤にして、柚華子は落ちたくっきーを拾う。
「だって、本当なんですもの。思ったら、すぐに口に出さないと、この気持ちが逃げてしまいそうで、私、すぐに言ってしまうんですの」
一緒にくっきーを拾いながら、同じ目線で向かい合い、鹿乃子は柚華子にニコッとほほえみかけた。
柚華子はというと、何も言わずにぷい、と横を向いたが、頬が真っ赤なのは変わらない。

そんなこんなで、始まる前は憂鬱だった『お集まり』も、柚華子がその後てんでおとなしくなってしまったり、とってもお久しぶりに蕗子お姉様とお話ができたり(和也お兄様のお話もしてくださったり!)存外、鹿乃子にとっては楽しく過ごすことができた。

御令室様方は、この後かくてるやおーどぶるをお召し上がりになるということで、一足お先に御令嬢方がお開きということになった。
まずは、お小さい玄宮家の梅子ちゃまと桃子ちゃまが、二人で一台の車に乗り込む。
「お姉ちゃまがた、お元気でー」
「お次の『お集まり』は、玄宮でいたしますー。お元気でー」
姿が見えなくなるまで、双方、互いに手を振る。

次は、お疲れの加減をお察しして、白宮家の蕗子お姉様。
鹿乃子と柚華子が深くお辞儀をすると、お姉様は、するすると後部座席の窓を開けさせた。
こんな事は初めてで、示し合わせたわけもなく、二人がそちらへ駆け寄ると、蕗子お姉様は、小さく、でも鈴を振るような可愛らしい声で
「柚華子さん、本日は本当に有難う存じます。愉しかったですわ。…それから、お二人とも」
「はっはい?!」
「まだ女学生の時代は始まったばかり、存分にお楽しみ遊ばせ。女はね、その後は…」
と、蕗子お姉様はしばらく言いよどんでいらしたが、
「きっと、次にお会いできるときは、もう少し上手にお話出来るように、考えておきますわ。それまでは、勉学も体操も、お友達と御仲良しになるのも、何でも存分にお楽しみ遊ばせ。ね?」
そうして、ふんわりとした微笑みを残して、白いお車で行ってしまわれた。

二人とも、しばらく車寄せのところで、並んで立っていた。
蕗子さまのお言葉が、何となく、思った以上に心の奥深くに沈んでいく気がして。
女学校をでて、花嫁修業をして、きっとその間に婚約(エンゲージ)が調い、結婚式を挙げて…。
年下とはいえ男子がいる蒼宮家はともかく、鹿乃子は一人娘だから、自分がどうやって朱宮家を存続させていかねばならないのか、まだわからない。
生来の気性と合わせて、馬の合う武道を鍛錬しているくらいしか、やっていないが。

馬…?
ひづめの音がパッカパッカとのんびり響いて来た。
乗っているのは、金モールのついた礼服を着こなした、若い近衛兵(ガーズ)。
「和也お兄様。よく、こちらの『お集まり』のお開きがおわかりになりましたね?」
鹿乃子は、和也を見ると、つい饒舌になってしまう。
「それくらいわからなくちゃあ、俺らの仕事は成り立たないよ。…蕗子は?」
お妹御を心配なさる様子は、軍人らしくなく、一人の優しい兄上に戻ってしまわれる。
「今さっき、お見送りをいたしましたわ」
「ふーん。じゃ、あとは、子鹿の所の片桐が車を持ってくるだけだな。…柚華子姫、今日だけでなく、支度から何から大変だったろう。母上と蕗子に代わって、礼を言う」
和也の突然の労いに、
「い、いえ、別に…」
と、柚華子は言葉少なだ。

(あれえ、別に柚華子さん、照れてる訳でもないみたいだし…どうしたんだろ?)

そこへ、朱宮のひときわ大きな外国車が、ゆったりと進んできた。
それを見やって、和也はニヤリと笑うと
「さ、これで御令嬢方の『お集まり』は本当のお開きか。…子鹿、また女学園からお前の面白い話が伝わってくるのを、ガーズの若い奴らが楽しみに待ってるぞ。せいぜいお転婆しろよ?」
「まあ、おひどい! そんな、わざとなんか、しませんよーだ」
鹿乃子は、お行儀悪く、和也にあっかんべをして見せた。
和也は白手袋で口を隠し、ぷぷっと笑って馬の歩を進めていった。

「ねえ、柚華子さんは、ガーズお好きでないの? 私は、馬が大好きなのだけど」
「馬は…匂いがいや。私は、どちらかと言ったら、海軍(ネーヴィー)がいいわ」
「まあ、意中のお方とか、いらっしゃるの?」
「本当に、鹿乃子さんたら、あけすけねえ。…ま、あなたの場合は、誰が見てもすぐ分かってしまうから、聞く必要もないけれど?」
「なーによう、それ?!」

待ちくたびれた片桐が、柔らかめに警笛を鳴らす。
「それでは、おいとまいたしますわ。おもてなし、有難う存じます、柚華子さま」
「こちらこそ、お楽しみいただければ幸いに存じます、鹿乃子さま」
型どおりの挨拶をして、その後、二人とも同時にプッと噴き出す。
車が門を出るまで、柚華子は車寄せに立っていてくれた。

「いかがでしたか? お嬢様」
運転しながら、片桐はさりげなく訊いてくれる。
「…そうね、まあ、いろいろあったけど、結局は『案ずるより産むが易し』という所かしら」
「それは、ようございました」
「ほんとうに。…片桐の事、予言者かと思ってよ。それも、かなり当たる」
「はっはっは…予言者とは、ようございましたな。…そうそう、予言者と言えば、名文家の春野は同乗していないようですが、どうしたのでしょうな?」
鹿乃子は、座席から飛び上がりそうに叫んだ。
「あっ!! 置いてきちゃった!!」
ひときわ闊達な、片桐の笑い声が車内に響く。

「よございますよ。奥様や旦那様をお迎えに上がる際にでも、拾ってまいりましょう」
「ありがとう、片桐。…それから、それからね、ひとつ、お願いなんだけど」
「はい?」
「この事…ガーズには、内緒にしてくれる?」

(おわり)