2012年7月11日水曜日

「お集まり」(3)

革の座席を滑り降りるようにして、鹿乃子は片桐が開けてくれたドアを抜けた。
「有難う、片桐。今日もまた、行ってくるわね」
「世の中は捨てたものではございませんよ、お嬢様。きっとよろしいこともお待ちでしょう」
車中の会話を聞くともなく聞いていた初老の紳士は、自らの仕える令嬢にそう囁くと、目配せをした。
「…そうね。そんなものよね」
つられて鹿乃子も、にこりと微笑む。

蒼宮家は、四神家には珍しい、洋館である。
車寄せから、出迎えの使用人達に鹿乃子が挨拶を返そうとすると、
「こら、子鹿。相変わらず、ちびちゃいままだな?」
後ろの高いところから、親しげな成年の声が聞こえ、同時に鹿乃子の切り下げ髪がくしゃくしゃっと大きな手で撫でられる。

「和也お兄様!」
ぱあっと鹿乃子の顔は晴れやかに変わり、早くその姿を見たくて、くるりと振り向く。
近衛師団(ガーズ)のきららかな礼服に身を包んではいても、昔通りの悪戯っぽく優しい瞳。
そして…鹿乃子だけの内緒なのだけれど…四神家の中で、一番、大好きな方。

「お兄様、ごきげんよう。こんな所にいらしててよろしいの? 他の殿方は?」
「なに、俺もいま着いたばかりさ。年かさの中にいても窮屈だしな。それにしても…」
そこで和也は言葉を止め、高い背をかがめて鹿乃子の顔をしげしげと眺めながら、ニヤニヤ。
「女学園でも、早速、やらかしたんだって? お前の武勇伝が、ガーズでも噂に上ってるぞ」

「えーっ!!」
そんなことは想像だにしていなくて、鹿乃子は思わず赤くなった頬を両手で隠した。

「いいじゃないか。皆、悪いとは言っていないのだから。さすがは朱宮のお転婆娘って、株が上がってるぜ」
「いやです、そんなの! 株なんて上がってません!」
「そうかなあ。少なくとも俺は、そうやって筋を通せる子鹿は偉いと思ってるんだけど?」
「んもう…かまわないで下さい、お兄様ったら!」

鹿乃子しか子宝に恵まれなかった朱宮家では、養子をとるしか家を存続する術がない。
現代と違い、養子や結婚など戸籍に関する事柄については、本人の意志に関係なく、家同士の相談…時には一族の会議…で、決められることとなっていた。

和也の一族となる白宮では男の兄弟が多く、四神家の間では、密かにまだ二人が幼いときより、彼の朱宮家への養子縁組と、鹿乃子との婚約(エンゲージ)の約束が家同士で決められていた。

もちろん、鹿乃子にはまだ、一言も知らされていないが。
(すでに成年となった和也には伝えられているのかどうか…それは、賢明なる読者の皆様のご想像にお任せすることといたしましょう)

そんなじゃれ合いの後、鹿乃子は和也と別れ、改めて蒼宮家の使用人達に労いの言葉を掛けながら、いつも「お集まり」で使われる、婦人用のサロン室へと向かった。
すると、毛足の長いペルシア絨毯を敷き詰めた廊下の向こうから
「あっ、いらした! 鹿乃子お姉ちゃまあ!」
「本当だわ! 鹿乃子お姉ちゃまあ!」
玄宮家のひとつ年下の双子、梅子ちゃまと桃子ちゃまが、お揃いの着物姿で走ってきた。
二人とも、明るいローズの市松模様の錦紗に、大柄な黄色いチューリップが染められた、元気な柄ゆき。帯はそれぞれの名前にちなんだ花が、丸帯に豪奢に刺繍されているもの。

「ごめんなさいね、ちょっと玄関で話し込んでしまって」
「見てまーした。和也お兄ちゃまでしょう?」
「お姉ちゃまとお兄ちゃま、ちっちゃなときからケンカばっかりなさってらしたもーん」
うふうふ、と、両手にぶらさがってくる双子の相手をしながら、
(え。…そうか、他の方には、あれ、ケンカに見えるのかしらん…)
と、鹿乃子は思った。

その時。

「鹿乃子さま。ご到着あそばしてから、ずいぶんこちらへのご挨拶が遅くはなくて?」
キンキン響く声が、鹿乃子を現実の「お集まり」嫌いへ引き戻す。

(さあ…来たわよ。これから数時間、お家のために、耐えなくっちゃあ…)

キンキン声の主は、四神家の令嬢でただ一人、鹿乃子とおない年の女学校一年生。
本日の「お集まり」で御令嬢方を取り仕切る、蒼宮 柚華子(あおいのみや ゆかこ)である。

(つづく)