2012年6月30日土曜日

りぼん。(3)

「…そうだわ!」
しばらく考えていた鹿乃子は、何かを思いついたらしく、パンと手を叩いた。
「どうなさったの?」
怪訝そうな美代に、
「わからないなら、教えていただけばいいのよ。私、今から四年楓組へ行ってまいります」
明快に、微笑みながら、鹿乃子は話した。

「とんでもない! おやめなさいな! そもそも一年から四年のお教室へ訪ねるなんて、聞いたことがないわ。それに、どんな意地悪を言われるか…鹿乃子さん、ご自分から辛い思いをなさるべきではないと思うわ」

今までの憤慨ぶりはどこへやら、慌てふためく美代に、鹿乃子はもう一度、にっこり。
「大丈夫だと思います。大した事をうかがうわけでもなし、それより私、今のこのもやもやした不思議な気持ちを何とかしたい気持ちの方が、大きいんですもの」

言うなり、淡い藤色の銘仙の振り袖に、海老茶の袴を翻し、トントン…と鹿乃子は上級生の階へと階段を上がって行った。
その後を、心配半分、物珍しさ半分の美代が急いで続く。

時は、昼食休み。

「御免下さいませ…」
後ろの開いている引き戸に立ち、鹿乃子は四年楓組へ初めてのご挨拶をする。

「あら、だあれ、あの小さな子は」
「さあ…藤色の銘仙と言うことは、どこかの藤組の下級生ね?」

「はい。一年藤組でございます」

「マア、一年生!」
「こないだまで小学部さんだったおちびさんが、よくまあ四年の教室へ来られたこと!」

たちまち、わらわらと物見高く、朱色の銘仙姿のお姉様達が、二人の一年生を取り囲む。
美代はもうおじけづいてしまって、身を固くして震えている。
その前に守るように立つ鹿乃子は、いつも通り、泰然と構えて次の用件を告げる。

「お話をうかがいたい方がこちらにいらっしゃると聞いて、私、参りました。榎本…さま、でしたでしょうか? 私、りぼんの事でどうしても不思議でたまらない事がございまして…」

鹿乃子の話を遮るように、級長格でもあろうか、見るからに押しの強そうな強面の上級生が、鹿乃子をじろり、と睨んで問い詰める。
「お待ちなさい。あなた、最下級生のくせに、上級生に対する礼儀もわきまえていないの? 許可もなしに上級生の教室を訪れるなど、もってのほか。それに何より、まず自分から名を名乗るのが礼儀っていうものでしょう? 恥を知りなさい!」

そうよそうよ、という四年の声に、鹿乃子の背中に隠れたままの美代は、半べそをかいている。
しかし、鹿乃子は臆せずに
「許可が必要な事、存じませんでした。申し訳ございません。それから、申し遅れましたが、私は一年藤組の、朱宮(あけのみや) 鹿乃子と申します。私の後ろにおりますのが、お友達の美代さんでございます」

この鹿乃子の名乗りに、一転、四年のお姉様がざわざわと動揺しはじめた。
「朱宮…って言ったわね、この子」
「じゃあ、朱雀・青龍・玄武・白虎の四家で司られている、直宮家の近衛役、『四神家』の…?」
「そう言えば、聞いたことがあってよ。今年は小学部から一人、四神家のご令嬢がご入学あそばすってお話…」
「こんなにがんぜなくていらっしゃるのに、おさすがねえ…。上級生相手でも、お顔色一つお変えにならなくてよ」

おやおや、鹿乃子の名乗り一つで、四年のお姉様たちは一年に敬語を使い出してしまった。
『四神家』などという家柄や決まり事を知らない美代は、雨が止んで急に青空が広がってしまったような周囲の変わりように、きょとんとしている。

鹿乃子は、続ける。
「お騒がせして、申し訳ございません。私はただ、榎本さまとりぼんのお話をさせていただきたいだけなのですが…叶いますでしょうか?」

すると、一番廊下から離れた窓際から、一人の嫋々とした人影がすっくと立ち上がり、その場で鹿乃子に話しかけた。
「お運びいただいて、有り難う。でも、もうお休み時間も少なくてよ。もし朱宮さまがおよろしければ、
放課後、私の方から一年藤組へお邪魔しますわ。…それでも、よくって?」

「はい! 喜んで。お待ち申し上げております!」
鹿乃子は、笑顔満面でお返事をした。
榎本さんが、過剰すぎない敬語を使って話されるのにも、好感をもった。

(つづく)