2012年5月1日火曜日

なから、好きだんべ。(←意味は読んでいくとわかります):前編


放課後のチャイムと同時に、けたたましく廊下をこちらへ向かって走り来る音がする。
それも、毎日。
真綾(まあや)は、ターゲットが自分だと知っていつつも、毎日決まってげんなりする。

ガラッと、勢いよく教室前のドアが開いて、バカがつくほどでかい声が真綾を呼ぶのだ。
「おーう、真綾、帰るんべぇーっ! どしたん? いないん?」

声の主は、荒っぽい訛りには似つかぬ今風の可愛い子ちゃん。カラコンに薄化粧、タータンのプリーツスカートもしっかり折り上げてミニ丈に着こなしている。
むしろ、げんなりさんの真綾の方が、黒い髪をおざなりに伸ばしている、地味~なルックスだ。

「あのさ、晶子(しょうこ)…」
それでも一緒に帰り、駅前の公園で二人して棒アイスを食べながら、真綾は言う。
「…その、バリバリの上州弁、何とかならないの?」
「なんで?」
「だってさ、その…あんた、黙ってればかなりイイ線いくのに、言葉でかなり損してる気が…」
(本当は、一緒にいる私が恥ずかしいのっ)と、言いたくても言えない真綾である。

「どーこが損してるぅ?上州のもんが上州弁しゃべんなくって、どーすんべよ。ばあちゃんやかあちゃんから、生まれてずーっと聞かされてきた言葉だんべ? 真綾は、それをあたしらの代で、はあ(もう)絶滅させる気なんかい? どっしょもねぇんな、罰当たるぞぉ」

食べ終わったアイスの棒をゴミ箱にぽいっと捨ててから、言葉とは裏腹に、晶子は真綾の髪をくしゃくしゃっとなで回して乱した。
「ちょっとぉ、やめてよぉ…」
「やーだんべったら、やーだんべぇ」
節をつけて歌うように自分をかまってくる晶子。
むく犬みたいにくしゃくしゃされながら、真綾は、彼女が思いのほか自分の使っている方言を意識して、しかも大切に思っていることに驚いていた。

真綾だって、産まれた時からこの地に育って、方言だってわかるし、話せる。
家の中でもごく普通に、方言が飛び交う。
小さな頃は、それをごく当たり前のことだと思っていた。

初めに違和感を覚えたのは、東京のいとこが来たときだったろうか。

「ねえ、借りてる本、図書館へいっしょに“なし”に行こう?」
真綾がそう誘うと、いとこは目をパチクリさせていた。
「え? “なす”って、東京じゃ言わないの?」
真綾がびっくりして聞くと
「なす…って、お野菜の、でしょ? 図書館で…お茄子?」
と、いとこはクスクス笑った。

「こらこら、笑わないの。こっちではね、借りた物を「返す」って意味で“なす”って言うのよ。ね、真綾ちゃん?」
と、そのいとこの母親…真綾の伯母が慰めてくれたけれど、もうその時には、真綾は瞳に涙をいっぱいためて、黙ってつっ立っていた。
言葉を笑われた以上に、自分とその生活をひっくるめて笑われたみたいに感じて。