2013年6月23日日曜日

極道めずる姫君(2)

その頃、すみれは理事長室を訪れていた。
ささやかな自宅を敷地内に構えた、初老の婦人は、すみれの内線電話にゆるりと立ち上がると、室内に入ってくる。

「理事長先生、申し訳ありません。先程、本校正門前の道で、不始末をいたしてしまいました…」
心から申し訳なさそうに、すみれは視線を落として詫びた。

「どちらが先に、銃を向けたのです?」
いかにも慣れた問答のように、理事長は微かな笑みさえ浮かべて問う。

「それは、もちろん、相手方です。私には、最近身に覚えのある情報は、入っておりません」
「なら、蒼さんの正当防衛でしょう? 何も問題はありません」

「でも…でも、校内にまで銃の携帯をお許し下さり、ほかの生徒の皆さんにまでご迷惑がかからないよう、こうして登下校の時刻をずらしていただいて…私、本当に恐れ入るばかりで…」

すみれは、さらりと髪を揺らして、今度は理事長を真っ直ぐ見据えて言う。

「理事長先生。私、本当にこの女子校にいて、よろしいのでしょうか?ご迷惑ばかり…」

「私の意見は、変わりませんよ。あなたが小一の春、入学式で今は亡きお母様とここへご挨拶に来てくれた時以来、ずっとね」

理事長は、クッションの効いた肘掛け椅子からよっこらしょと立ち上がると、ツイードのスーツで南向きの出窓を見上げた。

「あの時、お母様からお家の事情を伺いました。それもさることながら、あなたはその間、一言も無駄口をきかないで、ずっと私の顔を見つめていたわ。そう、そこのソファの横でね。私が座るように勧めた時、あなたはこう言ったわね。『私は、稼業を継ぐ身です。座るなどという、己を甘やかすような真似はするな、と、おじい様にもお父様にも言われて育ちました』、って」

窓を見ていた理事長は、くるりと振り向くと、ふふ…と笑って、すみれを見た。

「あの時ね、私は思ったのよ。誰が何と言おうと、この子はうちの女子校に入れよう、と。共学では、あなたを狙う刺客が入り込みやすいわ。それはまあ、あなたのように、少女でもあなたの命を狙う者はいるでしょうけれど、本校は一学年30人の小規模エスカレーター式私立校。あなたにとっては、少しでも学業に励みやすい環境になれば、と思ってね。…それに」

このあとに続く言葉は、日頃、理事長とすみれの二人きりの時、繰り返し聞かされてきたものなので、もうすみれにも予想はついた。

「それに、今でこそ学校の理事長などしてはいるけど、私もかつては、任侠の家に生まれた女ですからね。…あなたが素人さんにご迷惑をかけない限り、できるだけの事をしたいのですよ」

「理事長先生…、いつもいつも、ありがとうございます…」
すみれは、深々と頭を下げた。

「では、失礼いたします…」
すみれがそう言葉を添えて、重いマホガニーのドアを開けて退室しようとした時、

「蒼さん、背中の昇り龍は…もう、仕上がって?」
さらりと、理事長が尋ねてきた。

「はい、先だってに、ようやく…五分で、胸割りに彫り上げていただきました」

「おしゃれの幅が狭まってしまうけれど、仕方ないわね。夏服の生地も長袖で、いまから相談しておいてちょうだい。…それから、しばらくは免疫力が低下するから、無理をしないこと、忘れないでね?」

「…恐れ入ります」
マナー通りのゆかしい身のこなしで、すみれは理事長室を後にした。

ふう、と一つため息をついて、理事長は再び椅子に腰をかける。
「18になるのを待って、すぐに彫り物も入れて、修羅の道をゆくのかしら…あの娘は。私のように、結婚して本家を出てしまう様子はなさそうね…」
そう呟くと、窓の外に揺れる、まだ淡い色をした若葉をしばらく、見つめていた。

(つづく。平日はむりそうなので)