2012年4月13日金曜日

さくら、きらきら

助手席で、リマは夜景を眺めていた。
小さな盆地だけれど、それでも広がっている光の粒々はやはり美しく輝いて見え、
ありていな言い方だが「宝石箱をひっくり返したよう」な、景色だった。

「どう? リマちゃんの部屋の窓からは負けちゃうかもしれないけど、なかなかのもんでしょ?」
ハンドルを滑らかに操りながら、清乃(きよの)さんが言う。
いつもはおとなしいのに、今夜の彼女はちょっと饒舌で、それがリマにはおもしろい。

リマが高校受験の時、女子大生の清乃さんが、家庭教師についてくれた。
普通の学習の他、いろんな自作教材や定期テスト前のまとめなどを作ってくれ、おかげでちょっと高望みの第一志望校へ通えている、今のリマがいる。

当然、リマの家族は清乃さんに全幅の信頼を置いていて、高校の家庭教師もぜひ、と頼み込んだ。
が、清乃さんは指導力不足を理由に、潔くリマの家から身を引いた。

なぜか。
リマが思うに、答えは簡単。
夜道を二人でドライブするような「そういう仲」になっちゃった、からである。
勉強どころではなくなってしまいそうなので、清乃さんは家庭教師を断ったわけだ。

でも、時々こうやって「気分転換」という名目で、リマを誘ってくれる。
もちろん、リマの家は二人が出来てるなんて思いもしないし、安心して送り出してくれる。
悪い、二人。

「ねえ、清乃さん、今夜はどこへ連れてってくれるの?」
「秘密。でも、もうすぐ着くからね。そこは、もっと夜景が広々見えるんだけど、それだけじゃないの」
「?」
「まあ、ご期待ください」
小さく笑うと、清乃さんはメタリックピンクのリッターカーで山道に向かって走り始めた。

「はい、ご到着」
助手席に回ってドアを開けてくれた清乃さんに言われるまま降りたリマは、しばらく立ちつくしていた。
さっき、走っていたときより遙かに遠くまで見渡せる、地上の星々たち。
そして自分が今立っている丘の上には、大きな枝振りにぼったりと花々をまとった桜が一株、咲いていた。
「…すごい」
「でしょう…?」

しばらく、二人とも無言で、夜の闇に浮かび上がる二つの美を堪能していた。

「この桜がね、花散らしの風で一斉に花びらを飛ばす時は、もう、圧巻なの。夜景の中に花びらが入り
混じって、目の前がくらくらするくらい、綺麗なのよ」
「ふうん…すごそう…」
まだ散らない桜を、ちら、と恨めしそうに見上げながら、リマはつぶやいた。

「私の親が死んだ時も、ちょうどこの桜が散った時だったの」
「…え?!」
清乃さんの突然の告白に、リマはただ驚くしかできなかった。
「ちょうど、リマちゃんが高校に合格して、次の年の家庭教師を頼まれてた頃だったかな…。事故でね。
病院に駆けつけた時は、もう、父も母も霊安室に横たわっていたわ」
「……」
「その時、もう結婚している従兄がここへ連れてきてくれて、夜景と舞い散る花びらの中で、私、初めてやっと泣けたの。それまで緊張していた心を、ここの景色が素直にほぐしてくれたのね」
「…だから、清乃さん、私の家庭教師、断ったんだ…」
「それだけが、理由じゃないけどね。もっと割のいい日雇いのバイトを探して回ったり、小さな子の家庭教師なら時間が短いから、掛け持ちしたりね。それに…」
「それに?」
「家庭教師続けてたら、リマちゃんとこんな風に、夜、外で会えないでしょう?」
ゆっくりと振り返ってリマの顔を見つめる清乃さんは、いつもより少し大人っぽくて、なんだかリマには、気恥ずかしいような、くすぐったいような、でも嬉しいような気分がした。

その時。
澄んだ春の夜空に、一陣の風。
まばゆい夜景の中、桜の花びらが流れるごとく舞い上がり、飛んでいった。
リマの制服にも、そして清乃さんの長い黒髪にも、花びらが貼りつく。

「…そう…、ちょうどこんな感じだったわ、あの晩も。でも、今夜は違う」
清乃さんの言葉に、リマが首をかしげると
「今夜は、もうひとりぼっちじゃないわ。あなたがいるもの、リマちゃん」
リマの顔をまっすぐに見つめながら、かみしめるように、清乃さんは言って、微笑んだ。

それを聞いたとたん、今度は急に泣きたくなって、リマは勢いよく走り出すと、清乃さんの背中に抱きついて顔を隠した。

そんな二人を、夜景と桜の花びらは、ただ無心に隠し守ってくれているだけ。