「すみれ様、先日来、百貨店で誂えておりました、夏の制服がきょう届きました」
何事もなく学校から帰宅し、祖父と父に挨拶を終えて自室に戻った、すみれ。
慕わしくお仕えしている御方に、一刻も早くお知らせしたいと、可奈子が声を弾ませる。
「まあ…、可奈子ったら、自分の制服ができあがったみたいな勢いね?」
若草色の地に、思い切り大きな白の矢羽根をあちこちに散らした銘仙を着ながら、すみれは可奈子を見返って、微笑んだ。
平成の世であるというのに、すみれの部屋は、いつも青畳の香りも清々しい、和室である。
和箪笥の中から、可奈子はすみれの見立てに従い、クリーム色の地に鉄線の花の刺繍を施した名古屋帯を出して、締める手伝いをした。
「…こちらの箱が、ほら、夏服でございます…。もし、生地にご不満がございましたら、外商部の担当店員にお申し付け下さい、との事でした」
二人して、箱を挟んで正座する。
すみれは、ゆっくりと箱を開けた。
…見た目は、他の生徒の夏服と何ら変わらない、白のセーラーの上衣。
ただ違っていたのは、胸当てがつけられ、裏地が全体に縫いつけられて、長袖であること。
去年までは、すみれも、他の生徒と同じく半袖の薄い生地で制服を誂えていた。
ただ、高校生活最後の夏服だけは、刺青を入れた肌を隠すために、違う上衣を作ったのだ。
「…すみれ様、胸割りで五分に彫られたのですから、胸当てもつけず、七分袖でも良かったのではありませんか…?」
「それは駄目よ、可奈子。他の生徒さんは、皆、堅気(かたぎ)のお嬢様なのだから。万に一つでも、私がこちらの世界の者だと分からないようにして、ご迷惑を掛けないようにしなくては…」
「…でも、登下校も別でいらっしゃるし、お肌のご病気ということで、特別に理事長先生の控え室で体育着にも着替えていらっしゃるし…。差し出がましいようですが、ご心配なさりすぎでは…」
可奈子が、そう言う気持ちも、すみれにはよく分かる。
一人だけ異形の制服で夏を過ごすのは、決して気分の良くないものだろう、という…
「彫り師の先生に、身体をお預けしたのは、この私。その時も、お訊ねを受けたわ。『学校を出てからでも十分でしょうに、どうして、条例を越えたお年になったすぐ後に、彫られるのですか?』って」
「そうですわ…今更ですけれど、私も、そう思います」
「私はね、『極道』という不思議な縁で結ばれた何かと、結婚したかったのよ…一秒でも早く」
「え…?」
「子供の時から、おじい様やお父様、そしてたくさんの組の人たちを見てきたわ。決して外道な真似はせず、素人の方に理屈の通らないような真似は誰にもさせない、裏で生きていく我が家を。…物心つかないうちから、私、ちっとも怖くなかった。人が違うと言おうと、青鳳会は一本筋の通った生き方をする人間の、そして、それ故に不器用で世間に上手くとけ込めなかった人間の、大きなひとつの家なんだ…って、思って育ってきているのよ」
「すみれ様…」
「そんな組員(こども)たちに、たかだか高校生の女ができることって、何だろう…そう考えて、私は刺青を入れる事を決めたの。三代目になっても、組の皆を守るから、安心してほしい…って思ってね。…それに比べれば、たったひと夏、制服を長袖で通す事くらい、何でもないわ」
「…申し訳、ありませんでした…」
ずっと正座のまま、すみれの話に聞き入っていた可奈子は、涙を浮かべて頭を下げる。
「まあ、どうして?可奈子は何も悪くないのよ。あなたは私を心配してくれているのだし、それに、いつでも堅気に戻れるのよ?気を遣わないで?」
優しく慰めるすみれの回りには、後光のように光がとりまいているように、可奈子には見えた。
(ああ、この方は言葉だけじゃない。本当に、生まれながらのこの家の姫君なんだわ…)
「私は、すみれ様のおそばに、ずっと、ずっとお供いたします。…もし、お嫌でなければ…」
「嫌なわけ、ないじゃないの。…まあ、涙が滴になっていてよ?いま、そこの箪笥からハンカチを持ってくるから、待ってらっしゃい。動いちゃ駄目よ、着物が濡れるから…」
今にもしゃくりあげそうな可奈子に小声で言うと、すみれは柔らかな物腰で立ち上がった。
(つづく。お久しぶりです!)