自分用に頂いた部屋で、銘仙と制服の袴を脱いで、明朝のために襞をよく調え、押しをしておく。
そうして、家でいつも着ている、関西の伯母様から頂戴した鴇色地のお召に着替えると、珠子さんはようやく人心地ついた。
お八つを召し上がるのもそこそこに、お持ち帰りの和裁に取りかかる。
「裁つあたりは全然難しくなかったのだけれど、襟付けが何度やっても上手くいかないわ、嫌んなっちゃう…」
そこへ、半分開いた襖の向こうから
「ヘン、俺たちの幾何や白文素読なんかより、数段楽なことやってらぁ。女学校は、気位ばかりつんつんお高いけれども、その実、裁縫学校と変わらないじゃないか」
と、的を得ているだけに小憎らしい台詞は、3つ年上のお兄様の声。
いつもなら『マア、何よ!』とくってかかる珠子さんなのに、今日はさすがに元気なく、
「…全く、おっしゃる通りね。裁縫学校に入るつもりなんか、わたし、なかったのに…」
「オイオイ、そう時化た声をだすもんじゃない。その代わり、女学校には女学校にしかない『お楽しみ』が、あるはずだろう?」
しょんぼり俯く珠子さんを、あべこべにお兄様が励ますことになってしまった。
「えっ、『お楽しみ』?なぁにそれ?」
「おーやおや、本当に知らないのか?まぁ、ねんねさんの珠子らしいか。『エス』、シスタア…って、聞いたことないか?」
「エス…?」
そう、言われれば。
同じクラスのお友達が、そんなお話をしていた気がする。お手紙やお花のやりとりをして、とても仲良くすることらしい…位しか、又聞きで知っているだけではあるが。
「マァ、そんなもんだな。珠子はその程度知ってりゃあ、十分だろうよ」
「えっ、間違ってるの?」
「そうじゃないさ。ただ、あまり知りすぎてしまうと、良くないこともある…とだけ、教えておこうかな。たけなんかに聞いちゃダメだぜ。真っ赤になって怒られるぞ?」
「…ええ、わかったわ」
「さ、そんな裁縫、さっさとカタを付けちまいな」
「そうしますわ。ありがとうございます、お兄様」
気を取り直して針を持つ珠子に、お兄様はニッコリとして襖を閉めてくださった。
(エス、って…。どんな、ものなのかしら)
姉妹のない珠子にとって、ほんのりと興味がわいてきた。
実は、つい先ほど、放課後の物陰で、珠子に向けてその出来事がまさに始まっていたとは、露ほども知らずに。