桜にはまだ早くて、青空の下はパンジーが強い風に吹かれて、けんめいに咲いている。
下級生の二列に並んだ送り出しを抜ければ、あとはもう三年生とは呼ばれない集団…「卒業生」たちが三々五々集まって、写真を取り合ったり機種を変えた携帯に赤外線でデータを送り合っている。
そんな時、裏庭の桜の木の下にぽつん、と二人の人影。
一人は紺色の指定コート、もう一人は白い長めのカーディガンを羽織っているが、その下はコバルトブルーのセーラー服に、赤いスカーフがふんわりと。
「…なんかさ、実感わかないよね」
「うん…」
立ち姿そのままに、二人はぽつんぽつん、と話す。
その会話が、雨だれのように、互いの心に染みわたっていく。
「美久里は、いつ実家を出発するの?」
紺色のコートが、口火を切る。
「うん…平日の方が、運送屋さん安いって言うから、今度の木曜あたり…。要は?」
美久里と呼ばれた白カーデの少女が、聞き返す。
「あたしは、おかーさんの仕事の都合で、次の火曜に行く予定」
「…はやい、んだ…」
美久里がしょんぼり言うのを、要は制するように
「そっ。だから、見送りに来てね。あたしんちの前まで」
「え…やだ」
「な、何でよ?!」
「だって…寂しいじゃない…?」
「そーんな、一生会えないわけじゃないのよ?メールも電話もあるし。考えすぎだってば」
「もう、毎日、手、つなげないし…一緒に学校、通えないもん…」
「それは、だからー、違う大学をお互い選んだんだから。…それに、時々、会えれば…手も、つなげるよ?」
要は、語尾をちょっと恥ずかしそうに小声にしながら、説得を続けた。
「…ね、要」
「ん?」
「お互いアパートに住んだら、連休とか、今までみたいに自宅で遠慮しなくて、お泊まりとか、できるよね?」
美久里のいきなりな大胆発言に、さすがの要もうっとくる。
心臓わしづかみ、ってやつだ。
「…で、できるだろうね、まあ…」
急に要の方が、しどろもどろな口調になってきた。
「…じゃ、高校卒業して、離れても、我慢、する」
健気に、自分に言い聞かせるように話す美久里が可愛らしくて、要はキスしたくなってしまった。
「ね。美久里」
「…キス、していい? 今」
「だめ…」
「どして? あたし、今、すごくあんたにキスしたい。触れたいの」
「それは、大学に入ってから、初めて二人で会ったときまで、取っておきたいの」
「…疑ってる? あたしのこと」
「違うの」
美久里は、肩にかかるストレートヘアをさらさらふるふると横に動かしながら、要を見て言った。
「きっと、私、知らない場所で、知らない人ばかりで、知らないお店で物を買って食べて、…慣れるまで、そういうのすごい不安だと思うの。でも、要とのその約束があれば、その約束を頼りにして、何とか一人でやっていけるって、そう、思うから」
おとなしいなりに、美久里も新生活を考えてるんだなぁ、と、要は聞いていて思った。
「わーかった。でも、ほんとに約束だよ、忘れないでね?」
要が念を押すと
「忘れるわけ、ないじゃない…私の、一人暮らしのお守りだもの」
美久里は、ほのかににっこり、した。
きっと桜が咲き始めたら、こんな色だろうなあ、と要が思わず見とれるほどの、淡い淡い桜色だった。